沼沢湖のヒメマス-養殖放流の始まり-

 2018(平成30)年に沼沢湖でヒメマス釣りを本格的に始め、すっかりその釣りの虜となってしまいました。沼沢湖は、約5600年前の噴火によってできたカルデラ湖で、周囲を山に囲まれ、最大水深は100m近くあります。きれいな水の上で船を浮かべて釣りに興じると、とても気分がリフレッシュされます。

 ここでは、ヒメマス養殖放流の歴史をメインにご紹介したいと思います。沼沢湖にヒメマスが最初に放流されたのは、1915(大正)4年のことですが、先ずその前夜の日本のマス類の養殖事業などについて、触れておきたいと思います。

 古来、鮭・マス漁は、各地で様々な漁法を用いて盛んに行われていましたが、人工ふ化事業が開始されたのは、明治に入ってからのことでした。1976(明治9)年に内務省の関沢明清が、米国の博覧会に行き、そこで人工ふ化事業を知ったのが始まりでした。関沢は大久保利通に建議し、内務省に勧農局水産係を設置し、各地に孵化場を設け、事業を開始しました

 この時、ニジマスの受精卵も輸入され、養殖事業が開始されました。ニジマスの受精卵はその後も輸入され、各地で養殖事業も盛んになってきたようです。一方ヒメマスは、紅鮭の陸封型の魚で、日本では北海道のチミケップ湖と阿寒湖だけに野生種が生息していました。1894(明治27)年に阿寒湖から支笏湖に移植されたのが、ヒメマス養殖放流事業の始まりです。

 支笏湖では養殖放流事業が順調に軌道に乗り、1902(明治35)年には支笏湖産のヒメマス卵が十和田湖に移入され、翌年放流されました。十和田湖では、それまでにコイやサクラマスなど他の魚の移植も試みられたようですが、上手くいかず、地元篤志家(和井内貞行)の尽力によって、ようやくヒメマスの養殖が軌道に乗り、各地に受精卵を発送できるまでになったようです。

 一方、明治政府は、1899(明治32)年に農商務省令「府県水産試験場及び水産講習所規程」を策定し、各地方の漁業技術の振興を目的に、水産試験場・水産講習所を設置することを推進しました。

 福島県でも水産試験場が設置され、様々な漁業振興事業が実施されました。内水面関係では、猪苗代町川桁に養殖試験場が設置され、マス類の養殖放流事業も開始されました。記録に残っている最初のヒメマス放流は、1909(明治42)年で、1月に受け取った15万粒の受精卵を稚魚まで育てたものを、5月に猪苗代湖の3か所に放流したのが始まりのようです。

 一方、沼沢湖では、1913(大正2)年に沼澤鱒養殖組合が養殖放流事業を開始し、7月には米国産ニジマス稚魚1790尾が放流され、9月に捕獲したところ生育状況は順調のようでした。また、翌年には、北海道西別川のマス受精卵の養殖放流を行い、1年後の秋には、成魚の遡上が確認されたようです。

 この後、福島県が1915(大正4)年に実施した養殖試験事業の「鱒児放流経済試験」として、ヒメマスの放流が開始されました。(『明治・大正期の福島県庁文書3024 水産・免許漁業・漁業組合・水産試験場』福島県歴史資料館収蔵を参照)ここでは、土湯村土湯養魚社と沼澤鱒養殖組合の2団体が選ばれ、沼澤の組合には、米国産ニジマス卵5千粒、十和田湖産ヒメマス卵10万粒が配付されました。

 興味深いことに、ニジマス卵の発送記録も残っていました。ビクトリア港発4月16日、横浜港到着5月4日、川桁養殖試験場到着5月5日、沼澤孵化場到着5月6日とあります。ビクトリアは、北米西海岸にある北米カナダ・ブリティッシュコロンビア州の州都で、18日かけて北太平洋を横断したことになります。受精卵の運搬には温度や酸素の管理が必要と思われますが、現代のような便利な設備がなかった時代に、遠方から時間をかけて運んだ苦労がしのばれます。

 福島県内に継続して生息しているのは、沼沢湖だけだと思われるので、ヒメマスにとって、水温や水質が適していたものと思われます。最初に放流が行われた猪苗代湖で現在ヒメマスが捕獲された話を聞かないこととは対照的です。

 日本でヒメマスが生息して釣りが出来る主な湖は、屈斜路湖、支笏湖、洞爺湖(北海道)、十和田湖(青森・秋田県)、沼沢湖、中禅寺湖(栃木県)、西湖、本栖湖(山梨県)、芦ノ湖(神奈川県)、野尻湖、青木湖(長野県)の11の湖で、何れも水質がきれいな湖で、水深があって年間を通してヒメマスの最適水温の10度前後を維持可能な湖だと思われます。この内、西湖では、2010(平成22)年にさかなクンの尽力もあって、ヒメマスの近縁種で絶滅していたと思われていたクニマスが見つかったことも記憶に新しい出来事です。

 その後、沼沢湖では、昭和初期にヒメマス養殖放流事業の最盛期を迎え、1928(昭和3)年と1929(昭和4)年には、採卵した卵を他県にそれぞれ20万粒・55万粒を提供するまでになりました。現在に至るまで、十和田湖、支笏湖等から受精卵等を継続して調達し、ヒメマスの好漁場となっています。

 現在、多くの釣り人に愛されている沼沢湖のヒメマスが、このような歴史をたどって生息していると思うと、とても感慨深いものがあります。これからも自然豊かな沼沢湖で、ヒメマスが息づいていくことを切に願っています。

※本稿は、只見川流域を対象にしたミニコミ誌「Ryuiki」(2023年9月Ryuiki刊行の会発行)に掲載したものです。

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